
下記の歴史については、こちらのサイトより引用しています。⇒★
◆海野宿の歴史◆
海野宿は寛永2年(1625)に北国街道の宿駅として開設されました。北国街道は、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道でした。佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代のほか、江戸との交通も頻繁で善光寺への参詣客も多くありました。
寛保2年の大洪水によって隣接する田中宿が被害を受け、本陣が海野宿へ移されてからは、伝馬屋敷59軒、旅籠23軒と、たいへんな賑わいを呈していました。明治に入り宿場機能が失われてからは、養蚕の村へと移り変わりました。海野宿は伝統的な家並みが現在まで保存されていることから、昭和61年には「日本の道百選」に、62年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定を受けています。

そこから、隣の大屋駅まで、歩きますが、日陰がなくて、本当に暑かった…。(そこ!?)
見事に誰も歩いてません。お店もありません。カフェが一軒あったけど、定休日でした。orz

でも、水路があって、柳の木が揺れて、風情があります。

下の写真の右端に見えているナナメのものが「本うだつ」です。(「うだつが上がらない」のうだつ)













こちらの写真の真ん中あたりにあるのが、「袖うだつ」って言うんだって。


◆「本陣」とありますが、下記のような説明でした。詳しくはこちらを参照してね⇒★
藤田家は藤原鎌足の後裔の一族とも云われる旧家で、藤田信吉は上杉景勝の重臣として名を馳せ西方藩の藩主となりました。江戸時代に入り海野宿が開宿すると問屋職に任命され、江戸時代中期に海野宿が本宿に昇格すると、本陣職を担うようになりました。

マンホールがステキです。

千曲川を眺めながら、大屋駅へ向かいます。

やっと駅に着きました。マジ暑かったです。この駅にはタリーズがあったので(駅の入り口とは反対側に)、助かりました。(;・∀・)

大屋駅には、大きな古時計があります。

なんと大正11年!!すごいね。

この駅から、上田方面に行くことにしました。暑くてクラクラしてました。

やはり、炎天下に、日陰のないところを散歩するのはキケンですね。
もっと下調べしていくべきでした。
秋とか少し涼しいときに行ってみたいです。
今日はAMのみオンライン仕事です。