マラッカさんぽ*ファモサ要塞*
2019年 05月 21日
4月18日(木)マラッカ観光続きです。
ポルトガル植民地時代、マラッカ海峡から攻めて来る敵の侵攻に備えた砦。ファモサと呼ばれていますが、別名「サンチャゴ砦」です。
以下は、Guide Melaka というサイトからの引用です。
マラッカ海峡から攻め込んでくる外敵の侵入を防ぐため、司令本部を含むセントポールの丘の周囲をグルリと囲む高さ5メートルもの城壁が築かれました。ポルトガル軍進駐当時、城内に出入りする通用門として4ヶ所の門(ゲート)が設置されました。サンチャゴ砦はその4つの門のうち現存するたった一つのゲートです。
マラッカは、1511年からポルトガル、1641年からはオランダ、そして1795年からはイギリスの占領下に置かれ、その時に城塞は破壊されたのですが、この砦だけは、残しておこうとラッフルズ卿が言ったので残されたとのことです。
今はここから海までかなり距離がありますが(700mくらい埋め立てられた)、この砦が活躍していたころは、この前まで海だったそうです。
この大砲は後からつけたらしい。^^
説明のボードです。
中に入ってみました。その時代は海が見えていたのかな。町をぐるりと囲む城塞のゲートだったのですよね。
もうなんとなくしか見えない模様ですが、このデザインには、戦いに勝つための願いが、込められていたのでしょうね。
この図は、城壁があったと思われる町の後ろ側にあったものです。こんな感じで高い城壁がめぐらされていました。
これは写真に城壁だったと思われる図を書き入れたものです。左側に川があるので、位置的に、手前の赤い部分あたりがファモサ要塞だと思います。
その城壁の跡です。マラッカの町の中で、数か所見ることができます。
ポルトガル、オランダ、イギリス。
地の利の良いところは、いろんな国に攻められて、殺し合いがあって、マラッカの歴史を残していった。その地で「わーい!」とか言いながらスマフォを掲げて、のん気に観光している現代人は、やっぱ平和ボケと言わざるを得ないな…。しかし。マラッカはやっぱりすごいところだ。
今日のお天気、激しすぎます!
みなさま、お気をつけて!!(オレも外出だ)
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ポルトガル植民地時代、マラッカ海峡から攻めて来る敵の侵攻に備えた砦。ファモサと呼ばれていますが、別名「サンチャゴ砦」です。
以下は、Guide Melaka というサイトからの引用です。
マラッカ海峡から攻め込んでくる外敵の侵入を防ぐため、司令本部を含むセントポールの丘の周囲をグルリと囲む高さ5メートルもの城壁が築かれました。ポルトガル軍進駐当時、城内に出入りする通用門として4ヶ所の門(ゲート)が設置されました。サンチャゴ砦はその4つの門のうち現存するたった一つのゲートです。
マラッカは、1511年からポルトガル、1641年からはオランダ、そして1795年からはイギリスの占領下に置かれ、その時に城塞は破壊されたのですが、この砦だけは、残しておこうとラッフルズ卿が言ったので残されたとのことです。
今はここから海までかなり距離がありますが(700mくらい埋め立てられた)、この砦が活躍していたころは、この前まで海だったそうです。
この大砲は後からつけたらしい。^^
説明のボードです。
中に入ってみました。その時代は海が見えていたのかな。町をぐるりと囲む城塞のゲートだったのですよね。
もうなんとなくしか見えない模様ですが、このデザインには、戦いに勝つための願いが、込められていたのでしょうね。
この図は、城壁があったと思われる町の後ろ側にあったものです。こんな感じで高い城壁がめぐらされていました。
これは写真に城壁だったと思われる図を書き入れたものです。左側に川があるので、位置的に、手前の赤い部分あたりがファモサ要塞だと思います。
その城壁の跡です。マラッカの町の中で、数か所見ることができます。
ポルトガル、オランダ、イギリス。
地の利の良いところは、いろんな国に攻められて、殺し合いがあって、マラッカの歴史を残していった。その地で「わーい!」とか言いながらスマフォを掲げて、のん気に観光している現代人は、やっぱ平和ボケと言わざるを得ないな…。しかし。マラッカはやっぱりすごいところだ。
今日のお天気、激しすぎます!
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by lovehorse
| 2019-05-21 08:00
| Singapore2019
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